黒木奈々さん死去!32歳という若さで胃がん闘病するも完全復帰叶わず。

どうも、ちぇぶです。

今日はとても悲しい気分です。というのも、19日午前2時55分にフリーアナウンサーの黒木奈々さんが亡くなられました。

昨年4月にスタートしたNHKBS1「国際報道2014」でキャスターを務めていましたが、体調を崩されて治療に専念するとのことで、僕は1日でも早く体が良くなることを願っていましたが、叶わずということに。。

ということで、今日は黒木さんのことについて書きたいと思います。

黒木奈々とは!?

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生年月日 1982年11月12日
没年月日 2015年9月19日(満32歳没)
血液型 A型
最終学歴 上智大学
職歴 毎日放送
活動期間 2006年 – 2015年
ジャンル 報道番組

鹿児島県出身のフリーアナウンサーで、身長172cmとてともスレンダーで綺麗な方です。
そして、英語、フランス語が話せるトリンガル!
才色兼備とはこういう方のことを言うんでしょうね。

小学生時代からアナウンサーを目指していたというからすごいですよね!夢をしっかり掴んでいます。
ですが、全てがトントン拍子に進んでいたわけではなく、アナウンサー採用試験に臨んだものの在京キー局・地方局すべて落ちるという挫折を味わっています。

その後、報道記者枠で2006年4月に毎日放送へ入社するも、翌年2007年に退社。
何社か移籍し、2010年4月以降「フリーアナウンサー」という肩書きに変更しています。

2014年3月31日に「国際報道2014」のメインキャスターに就任して、ようやく軌道になり始めた。という時に体調を崩されました。

「国際報道2014」の動画がありましたので、ご紹介させていただきますね。
[youtube id=”0Quj12Ad37E” align=”center” autoplay=”no”]

闘病生活を経て復帰へ!

黒木奈々さんが最初に病魔が襲ったのは、2014年7月です。

レストランで食事をしている時に倒れられました。急性胃潰瘍という診断でした。
当時、「夏休み」ということでお休みされていました。

しかし、検査の結果、悪性細胞が見つかったということで、休養することとなり、胃癌を患っていることを公表するまでに至りました。

この時はすごく心配でしたね。若い方の癌っていうのは進行が早いと聞きますし、大丈夫かなと思ったのを覚えています。

9月に手術を受け、、胃癌手術は成功して転移もしていないと発表があった時は本当に嬉しかったですね!
しかも、一日限りではあったものの、「国際報道2015」の特別版で、復帰を果たしたんです。
テンション上がりましたよ!

本格復帰を目指して全力で治療に専念するとのことでしたが、3月から月曜日限定でしばらくは出演していました。

このまま、なんの心配もなく完全復帰してくれるんだろうなと思っていましたが、そんな淡い期待がすぐに消えるのにはそんなに時間はかかりませんでしたね。

すぐに、再び休養とのこと。。

そして、本日19日に死去。

悲しくてたまりません。
本当お疲れ様でした。
そして、今までありがとうございます。

天国でゆっくり休んでください。

ご冥福をお祈り申し上げます。

最後に

黒木奈々さんが闘病生活のことを赤裸々に語っている書籍があります。
若い女性の方に是非読んでいただきたいです。

仕事もオシャレも恋愛もまだまだ、自分の人生はこれから!という時に自分が「癌」と宣告された時の衝撃。
リアルな叫びがこの書籍から伝わってきます。

最初に癌だと告げてくれたのが、「父」だそうです。
お父様の気持ちを考えると男性である僕は胸が張り裂けそうですよ。

天塩にかけた我が娘にそんな残酷なことを告げるには勇気がいくらあっても足りないようなきがしました。

書籍中にこんな文がいくつもあります。

「最初に知らされた時は頭の中が真っ白になりました。わけがわからない、なんで私なのって。一緒に出演しているNHKの有馬嘉男キャスターが声をかけてくれたのですが、『私、がんだって』と言った途端に涙が止まらなくなりました」

告知された日、ショックが少し治まった後に『これで番組は降板か。キャスターは私の人生そのものなのに』と思いました。

自分の人生をすごく考えさせられてしまう、リアルに苦しむ言葉ばかりです。

もし、自分の大切な人が黒木奈々さんのような状況なら自分はどんな言葉をかけてあげられるだろうか?

もし、自分が黒木奈々さんと同じ立場なら、正常な精神状態でいられるだろうか?どんな言葉を周りに掛けてもらいたいだろうか?

そんなことを頭の中が反芻してしまう書籍です。涙が止まりません。


どうぞ安らかにお眠りください。